また心から笑える日が来るまで-難治頻回部分発作重積型急性脳炎 闘病ブログ-

難治頻回部分発作重積型急性脳炎に発症した娘(当時1歳半)と僕たち家族の闘病ブログです。

病院を転院した時のこと

前に書いたブログを自分で読み返してみると娘が病気になってからの出来事を思い出せるので、あの時はこんな事があったなって事を振り返れるのですが、時間が経つにつれ忘れてしまう事も多いです。

今後のため、記憶に残っているうちにブログに書いていなかった事も書いておこうと思います。

 

病院を転院した時のこと

娘が救急車で病院に運ばれた時は熱性痙攣と思われましたが、その後の血液検査や脳波の検査により、急性脳症の疑いがあるという事になりました。

ただ4日程度入院した段階でも痙攣が定期的に発生していた事やMRI検査をしてもとくに異常が見られなかった事から、その病院にはない、より詳細な脳波を計測できる国立病院に転院する事になりました。

techno-monkey.hateblo.jp

 

転院先の病院について

転院先の病院は、東京の西側にある病院で、僕の家から首都高速道路を使って1時間程度の場所にありました。

娘が入った所は、特殊な機械もたくさんある研究所のような場所でした。1つの大部屋で、娘くらいの子供達がカーテン一つを挟んでたくさんいました。

その病院ではいろんな難病を研究している病院らしく、入院している子供たちは、重病な子が多そうな印象でした。

すぐに処置できるようにするためなのか、娘はほぼ裸(オムツだけしている)の状態で、色々な機械が繋がれていました。

その時娘は意識が戻っていなかったので、そばに寄り添うことや、たんが詰まって苦しそうな時に看護師を呼ぶくらいしかできませんでした。

自分の無力さにただただ泣くしかありませんでした。

 

病院の設備は整っているけど雰囲気が嫌だった

その病院には約2週間いましたが、一刻も早く病院に戻りたかったです。

転身先の病院は設備も整っているし、夜中でもたくさんのスタッフがいる事の安心感はありましたが、雰囲気が嫌でした。

前の病院はスタッフさんが定期的に娘に話しかけてくれたり、比較的明るい雰囲気でしたが、転院先の病院はスタッフさんも娘にあまり話しかけてくれず、仕事を淡々とこなしている感じでした。全体的に照明もくらいし、カーテン越しの隣の子供の咳がすごかったりしたので娘にウィルスが飛んでくる怖さがありました。(後から聞かされたことですが、転院先の病院で感染症にかかっていたようです。)

あと、家から病院がかなり遠いという事もあり、平日は仕事なので娘のお見舞いにいけないという事もストレスでした。お見舞いに行く日も、車で病院へむかって運転していると、「見れていない間娘は大丈夫なのか?」とか娘は今後どうなるのか?など色々考えて悲しくなりました。

 

 

転院前の病院に戻る

約2週間その病院で経過を観察してもらいましたが、脳波的にもはっきりといった原因はわからず、これといった進展はありませんでした。

一通り検査が終わったので、転院前の病院にまた戻ることになりました。

その病院を出る間際で、「病気の研究の為、娘の血液を提供して欲しい」ということだったので同意しました。(まだ原因がよくわかっていない病気という事もあり、何かしらの進展があることへの期待を込めて)

 

 

あの時の悲しみは忘れない

転院した時のことを思い出すと、今でも悲しくなります。

あの時もし転院しないでいたら、状況がかわっていたんじゃないか?って事を今でも思ったりします。(転院先で感染症になり高熱が出た事もあったので)

ただ、転院した事も含めて今の娘の回復があると思います。

あの時の悲しみを忘れずにこれからも娘の病気と向き合って行きたいと思います。