金曜日の夜出た高熱は土曜日の朝には落ち着きましたが、
土曜日の夜、40度の熱と痙攣が出てしまいました。
検査の結果、肺炎になった可能性が高いとのことでした。
免疫力が低下していることもあり、合併症の可能性があることは伝えられていましたが、いざそうゆう事態が起きると本当に辛いです。。
金曜日に高熱が出たのは、肺炎によるものの可能性が高いため、
土曜の朝に外れた鼻の管をまた取り付けることになり、点滴を繋ぐことになりました。
栄養はしばらく点滴と鼻からの注入で行うため、また口から食事ができるのはしばらく先になるそうです。
土曜の午後から日曜にかけて、食事ができないためか、娘はいつもに比べてよく泣きました。
しばらく出ていなかった痙攣がまた出てしまったこと・肺炎になり、娘の大好きな食事ができないこともあり、精神的にとても辛いです。
今日から明日あたりに再検査して、問題なければまた口から食事ができるらしいので、
早く食事ができることを願いたいと思います。
今年の24時間テレビ
昨日娘の病院から帰ってきたら、24時間テレビがやってました。
去年までは、あまり24時間テレビを見てませんでしたが、
今年は色々あったせいか、感じるものがありました。
中でも印象的だったのは、若くしてがんを患った「山下弘子」さんと家族の闘病生活の話。
がんを患っていても、笑顔で明るく前向きに生きている「山下弘子」さんの映像は、心に残るものがありました。
家族として何ができるだろう?
ってことを強く考えさせられるものでした。
そういうこと強く考えるようになったのは、
娘の病気が関係しているように思います。
あと、障害をもつ人たちが頑張る企画については、
「健常者の方たちに障害者の方の頑張っている姿で感動を与えるための企画」のように感じました。
出演者の頑張りに心打たれ、勇気づけられた視聴者のリアクションは、「障害者だってこんなに頑張っているのだから、私も頑張ろう」「障害者だってこんなに頑張っているのだから、お前も頑張れ」と、無意識に障害者を見下すようなものかもしれない。そして『24時間テレビ』に登場する障害者やその家族たちは、障害者を代表する存在というわけではない。すでに障害を受容し、生活基盤の整っている人々に限定して強いスポットライトを当てることで、逆にその周辺が暗く見えなくなりかねない。
また、エンタメコンテンツとして消費する性質上当然なのかもしれないが、チャレンジ障害を受容できない葛藤であるとか、障害を障害たらしめる社会制度の不備、現存する偏見の解消などといったテーマに時間が割かれることはない。
感動ポルノというのは、思いがけない感動ではなく、最初から約束された感動(難題に挑戦し、達成することで視聴者の感情を揺さぶる)を提供されているような、なんとも言えない気持ち悪さがある。チャリティー番組そのものがいけないわけではなく、障害者を挑戦や努力、勇気、感動のアイコンとして利用する姿勢をそろそろ見直すべき時ではないだろうか。
上記の記事にあるように、エンタメ的な要素として感動は必要だと思うのですが、
現状の社会では、障害者用の社会的な制度や、偏見の解消などの方が問題だと思います。
見た人たちがそうゆうことにもっと関心が向くような内容がもっと多かったらいいのにと感じました。
(大人の事情もあるからなかなかそうは行かないというのはわかるけど)
多分、娘の病気がなかったら、こんなことは思わずに生活していたかもしれないし、
周りに病気を持つ人が少ない人にはあまり関心がわかないことかもしれません。
それでも、自分の周りから・自分にできることからやって行ければいいなと思います。